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第五十七巻 真善美愛 申の巻 < 総説歌 >
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2008/02/03(Sun)
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総 説 歌
神が表(おもて)に現(あら)はれて 善(ぜん)と悪(あく)とを立別(たてわ)ける 善(ぜん)の中(なか)にも悪(あく)があり 悪(あく)の中(なか)にも善(ぜん)がある 善悪正邪(ぜんあくせいじや)はオーニーの 知識の程度で判(わか)らない 唯(ただ)何事(なにごと)も惟神(かむながら) 神の御旨(みむね)に任(まか)すのみ 此(こ)の世(よ)を造りし神直日(かむなほひ) 心(こころ)も広き大直日(おほなほひ) 只(ただ)何事も人の世は 直日(なほひ)に見直し聞き直し 世の過(あやま)ちは宣(の)り直せ 人は神の子神の宮 天津使(あまつつかひ)のエンゼルの その精霊(せいれい)に神格(しんかく)を 充(みた)され肉体(にくたい)人(じん)に容(い)り 天地経綸の神業(しんげふ)に 奉仕せむため生(うま)れ来(き)ぬ アゝ惟神(かむながら)々々 御霊(みたま)幸(さち)はへましまして 此の世の終(をは)りに日地月(につちげつ) 誠(まこと)の神が降(くだ)りまし 瑞(みづ)の御霊(みたま)に神業(しんげふ)を 任(よ)さし玉(たま)ひし尊(たふと)さよ 世は常暗(とこやみ)となり果(は)てて 黒目(あやめ)も判(わ)かぬ時(とき)なれど 光の神は御空(みそら)より 鳩の如(ごと)くに降(くだ)りまし 空前絶後(くうぜんぜつご)の神業(しんげふ)を 経綸(けいりん)さるるぞ有難(ありがた)き 国の御祖(みおや)の大御神(おほみかみ) 厳(いづ)の精霊(みたま)に神格(しんかく)を 充(み)たし予言者の体(たい)に依(よ)り 出口(いつき)の守(かみ)と現(あらは)れて この世を照(てら)し玉(たま)ふ世は 漸(やうや)く近づき来(きた)りけり 仰(あふ)ぎ敬(ゐやま)へ四方(よも)の国 青人草(あをひとぐさ)の末(すゑ)までも 三五教(あななひけう)の御教(みをしへ)は 最後の光明(くわうみやう)艮(とど)めなり 眼(まなこ)を醒(さ)ませ耳開(ひら)き 神の生宮(いきみや)予言者の 貴(うづ)の言霊(ことたま)守るべし アゝ惟神々々 御霊(みたま)幸(さち)はへましませよ 朝日は照るとも雲るとも 月は盈(み)つとも虧(か)くるとも 地震(つちゆ)り海は浅(あ)するとも 誠(まこと)一つは世を救ふ エスペラントやバハイ教 紅卍字教(こうまんじけう)や普化教(ふけけう)も 残らず元津大神(もとつおほかみ)の 仕組(しぐ)み給(たま)ひし御経綸(ごけいりん) その外(ほか)諸々(もろもろ)の神教(しんけう)は 此の世の末(すゑ)に現はれて 世を立直(たてなほ)す為(ため)ぞかし 国会開(こくくわいびら)きが始まりて 十二の流れ一時(いつとき)に 清く流るる和田の原(はら) 底井(そこゐ)も知れぬ海潮(かいてう)の 深き思ひぞ計れかし いよいよ五六七(みろく)の世となれば 山河草木(さんかさうもく)言ふも更(さら) 禽獣虫魚(きんじうちうぎよ)も押並(おしな)べて 神の仁慈(じんじ)の露(つゆ)にぬれ 一入(ひとしほ)清き霊光(れいくわう)を 照らし栄ふる世とならむ 仰ぎ敬(ゐやま)へ神の徳(とく) 慶(よろこ)び奉(まつ)れ神の愛。 大正十二年旧二月十日 皆生温泉にて ※オーニー ・・・ エスペラント語で、人間、人々のこと。 ※国会開き ・・・ 大本神諭に「神柱会開き(こくくわいびらき)は人民が何時(いつ)までかかりても開(ひら)けんぞよ。神が開かな、開けんぞよ。開いてみせうぞよ。」とあるように、ここでは神の経綸による世界の神柱の会議を意味する。出口聖師は「主(す)の神は宇宙一切の事物を済度すべく天地間を昇降遊ばして其御魂(みたま)を分け、或は釈迦と現はれね或は基督となり、マホメツトと化り、其他種々雑多に神身を変じ給いて天地神人の救済に尽させ給ふ仁慈無限の大神であります。」と主神に帰一する万教同根の思想を説かれ、諸宗教との提携をすすめられた。 ※十二の流れ ・・・ 一般にはバイブルによるイスラエルの十二部族だが、ここでは神の経綸によって大本と提携した主なる宗教団体をさすと思われる。 愛善世界社 刊 「霊界物語 第五十七巻 申の巻」 −巻末注釈より− 皆生温泉 夜見ケ浜から日本海を望む。 |
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