序文
2007/08/18(Sat)
序 文


 艮(うしとら)の金神(こんじん)出現以後(いご)三十年の立替(たてかへ)は、いよいよ明治五十五年、すなはち大正の十一年、三千世界(さんぜんせかい)一度に開(ひら)く梅の花の機運(きうん)に到達したのである。つぎに坤(ひつじさる)の金神(こんじん)出現以後二十五年、桃李(たうり)もの言(い)はずして桃李ものとなりし神の教示も、いよいよ開く桃の春、五十二歳の暁(あかつき)に、月の光に照らされて、霊界探険物語り、ももの千草(ちぐさ)も、百鳥(ももどり)も、百(もも)の言(こと)問(と)ひ言(こと)止(や)めて、三月三日(みつきみつか)、五月五日(いつつきいつか)の神の経綸(けいりん)を詳細(しやうさい)に、悟(さと)る神代(かみよ)の魁(さきがけ)となつたのも、まつたく時(とき)の力(ちから)といふべきである。明治三十三年九月八日の神筆(しんぴつ)に、
 『出口直(でぐちなほ)は三千世界(さんぜんせかい)の根本の因縁(いんねん)から末(さき)の世(よ)のことまで書かす御役(おんやく)なり、それを細(こま)かう説いて聞かせるのが海潮(かいてう)の役(やく)であるから、一番に男子(なんし)が現はれて、次に女子(によし)が表(あら)はれたら、大本(おほもと)の中の役員も、あまり思ひが違ふてをりたと申して、きりきり舞(まひ)をいたして喜ぶ人と、きりきり舞(まひ)をして苦しむ人と、力一杯われの目的のために、男子女子(なんしによし)を悪く申すものとができるぞよ。神を突込(つきこ)みておいて、我(が)で開(ひら)いて、まだ悪く申してあるく、取次(とりつぎ)がたくさんにできるぞよ。云々(うんぬん)』
 大本(おほもと)の筆先(ふでさき)は、どうしても男子(なんし)女子(によし)でなければ真解(しんかい)することはできぬのは神示(しんじ)のとほりである。しかるに各自(かくじ)の守護神(しゆごじん)の御都合(ごつがふ)の悪いことがあると、「女子(によし)の筆先は審神(さには)をせなそのままとつてはいかぬ」と申す守護神が現はれてくる、困つたものだ。九月八日にいよいよ神示のとほり女子の役となり、隠退(いんたい)して霊界の消息を口述するや、またまた途中の鼻高(はなだか)がゴテゴテ蔭(かげ)で申出(まをしだ)したのである。女子の帰神(きしん)の筆(ふで)を審神者(さには)する立派な方(かた)が沢山(たくさん)できて、神様も御満足(ごまんぞく)でありませう。
 また、明治五十五年の三月三日(みつきみつか) 五月五日(いつつきいつか)といふ神の抽象的教示(ちうしやうてきけうじ)にたいして、五十五年は大正十一年に相当(さうとう)するから、今年は女子の御魂(みたま)にたいして肉体的結構があるとか、大本(おほもと)の神の経綸(しぐみ)について花々(はなばな)しきことが出現するかのやうに期待してをる審神者(さには)があるやうにきく。されど、神の御心(みこころ)と人間の心とは、天地霄壤(てんちせうじやう)の相違(さうゐ)があるから、人間の智慧(ちゑ)や考へでは、たうてい、その真相(しんさう)は判(わか)るものでない。五十五年といふことは、明治二十五年から三十年間の神界経綸(しんかいけいりん)の表面に具体的に顕(あら)はれる年(とし)の謂(いひ)である。
 三月三日(みつきみつか)とは三(み)ツの御魂(みたま)なる月(つき)の神の示顕(じけん)が、天地人三体(てんちじんさんたい)に輝きわたる日(ひ)といふことである。日(ひ)は「カ」と読む、「カ」はかがやくといふことである。今まで三十年間男子(なんし)の筆先の真意(しんい)が充分(じゆうぶん)に了解され、また従道(じゆうだう)二十五年に相当する女子(によし)の御魂(みたま)の光が、そろそろ現(あらは)れることを暗示された神諭(しんゆ)である。二十五年間、周囲の障壁物(しやうへきぶつ)にさまたげられた女子の御魂(みたま)の神界経綸の解釈も、やや真面目(まじめ)になつて耳をかたむくる人が出現するのを「女子にとりて結構な日である」と示されたものである。あたかも暗黒の天地に、日月(じつげつ)の東天(とうてん)を出(い)でて万界(ばんかい)を照らすがごとき瑞祥(ずゐしやう)を、五月五日(いつつきいつか)といふのである。五(いつ)は言霊学(ことたまがく)上(じやう)「出(イツ)」であつて、五月五日(いつつきいつか)は出月出日(いつつきいつか)の意味である。二十五年の天津風(あまつかぜ)、いま吹き初(そ)めて経緯(たてよこ)の、神の教示も明(あきら)けく、治(をさ)まる御代(みよ)の五十五年《出神出念(しゆつしんしゆつねん)》、いよいよ神徳(しんとく)出現して、神慮(しんりよ)の深遠(しんゑん)なるを宇宙に現出(げんしゆつ)すべき時運(じうん)にむかふことを慶賀(けいが)されたる神示であります。
 月光(げつくわう)世に出(い)でて万界(ばんかい)の暗(やみ)を照破(せうは)す、これ言霊学(げんれいがく)上(じやう)の五月五日(いつつきいつか)となるのであつて、けつして暦学(れきがく)上の月日(つきひ)でないことは明白である。三月三日(さんぐわつみつか)と五月五日(ごぐわついつか)に、変(かは)つたことがなければ信仰をやめるといふ無明暗黒(むみやうあんこく)の雲(くも)が、遠近(をちこち)の天地を包むでゐるやうに思はれましたから、一寸(ちよつと)略解(りやくかい)をほどこしておきました。これでもまだ女子(によし)の御魂(みたま)の言(げん)は審神者(さには)をせなくてはいかぬと、唱(とな)ふる豪(えら)い人々が出現するかもしれませぬ。これが暗黒の世の中といふのでせう。
 神諭に「女子にとりて結構な日である」云々(うんぬん)は微々(びび)たる五尺(ごしやく)の肉体にたいしての言(げん)ではない。神霊(しんれい)そのものの大目的(だいもくてき)の開(ひら)き初(はじ)むるを慶賀(けいが)されたる意味であることを了解すべきである。千座(ちくら)の置戸(おきど)は、瑞(みづ)の御魂(みたま)の天賦的神業(てんぷてきしんげふ)たることを承知してもらひたい。
 霊界物語を読ンで、初めて今日(こんにち)までの神諭の解釈にたいする疑雲(ぎうん)は一掃(いつさう)され、心天(しんてん)たちまち晴明(せいめい)の日月(じつげつ)をうかべ、霊体力(れいたいりよく)に光輝(くわうき)をそへ歓喜(くわんき)と了解の日月(じつげつ)出現していはゆる三月三日(みつきみつか) 五月五日(いつつきいつか)の瑞祥(ずゐしやう)を神人(しんじん)ともに祝(しゆく)することになるのである。
 五月五日(ごぐわついつか)は男子(なんし)の祝日(しゆくじつ)、菖蒲(しやうぶ)の節句(せつく)である。三月三日(さんぐわつみつか)は女子(によし)の祝日で、桃(もも)の節句である。女子の御魂(みたま) 聖地に出現してより二十五年の間(あひだ)桃李(たうり)物(もの)言(い)はす自(おのづか)ら蹊(けい)をなせしもの、ここに目出度(めでたく)世にあらはれて苦(く)、集(しふ)、滅(めつ)、道(だう)を説き、道(だう)、法(はふ)、礼(れい)、節(せつ)をはなばなしく開示することとなつたのも、神界経綸の神業(しんげふ)成就(じやうじゆ)の曙光(しよくわう)をみとめ、旭光(きよくくわう)照破(せうは)の瑞祥(ずゐしやう)にむかつたので、神人界(しんじんかい)のともに祝福すべき年であります。
           ○
 この物語のうちに大自在天(だいじざいてん)とあるは、神典(しんてん)にいはゆる、大国主之神(おほくにぬしのかみ)の御事(おんこと)であつて、大国彦命(おほくにひこのみこと)、八千矛神(やちほこのかみ)、大己貴命(おほなむちのみこと)、葦原醜男神(あしはらしこをのかみ)、宇都志国魂神(うつしくにたまのかみ)などの御名(みな)を有(いう)したまひ、武力絶倫(ぶりよくぜつりん)の神にしましまて国平矛(くにむけのほこ)を天孫(てんそん)にたてまつり、君臣(くんしん)の大義(たいぎ)を明(あきら)かにし、忠誠の道(みち)を克(よ)く守りたまふた神であります。本物語にては大自在天(だいじざいてん)、または常世神王(とこよしんわう)と申しあげてあります。
 大自在天とは仏典(ぶつてん)にある仏(ほとけ)の名であるが、神界にては大国主神様(おほくにぬしのかみさま)の御事(おんこと)であります。この神は八千矛(やちほこ)の威力(ゐりよく)をふるつて、天下を治めたまふた英雄神(えいゆうしん)である。皇祖(くわうそ)の神は、平和の象徴(しやうちやう)たる璽(たま)と、智慧(ちゑ)の表徴(へうちやう)たる鏡(かがみ)とをもつて、世を治めたまふのが御神意(ごしんい)である。
 また盤古大神塩長彦(ばんこだいじんしほながひこ)は一名(いちめい)潮沫彦(しほなわひこ)と申し上げる、善良なる神にましますことは、前篇(ぜんぺん)に述べたとほりであります。この神を奉戴(ほうたい)して荒(あら)ぶる神人等(かみがみ)が色々の計画をたて、神界に活動して国治立命(くにはるたちのみこと)の神政(しんせい)に対抗し、種々(しゆじゆ)の波瀾(はらん)をまきおこしたことはすでに述べたとほりである。そこでこの世界を救ふべく、諾冊二神(なぎなみにしん)がわが国土(こくど)を中心として天降(あまくだ)りまし、修理固成(しうりこせい)の神業(しんげふ)を励(はげ)ませたまふこととなつた、ありがたき物語は篇(へん)を逐(お)うて判明することであらうと思ひます。惟神霊幸倍坐世(かむながらたまちはへませ)
     大正十一年一月三日
                       王  仁  識


     石の上(いそのかみ)古事記(ふることぶみ)は神つ代(かみつよ)の
          神(かみ)のいさをのしるべなりけり


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霊界物語 目次 <第三巻 寅の巻>
2007/08/17(Fri)
霊 界 物 語  <第三巻  霊主体従 寅の巻

序文
総説

凡例


<第 一 篇  国魂の配置>
第一章    神々の任命
第二章    八王神の守護

<第 二 篇  新高山>
第三章    渓間の悲劇
第四章    鶴の首

<第 三 篇  ロッキー山>
第五章    不審の使神
第六章    篭の鳥
第七章    諷詩の徳
第八章    従神司の殊勲

<第 四 篇  鬼城山>
第九章    弁者と弁者
第一〇章   無分別
第一一章   裸体の道中
第一二章   信仰の力
第一三章   嫉妬の報
第一四章   霊系の抜擢

<第 五 篇  万寿山>
第一五章   神世の移写
第一六章   玉ノ井の宮
第一七章   岩窟の修業
第一八章   神霊の遷座

<第 六 篇  青雲山>
第一九章   楠の根元
第二〇章   青天白日
第二一章   狐の尻尾
第二二章   神前の審判

<第 七 篇  崑崙山>
第二三章   鶴の一声
第二四章   蛸間山の黒雲
第二五章   邪神の滅亡
第二六章   大蛇の長橋

<第 八 篇  神界の変動>
第二七章   不意の昇天
第二八章   苦心惨憺
第二九章   男波女波
第三〇章   抱擁帰一
第三一章   竜神の瀑布
第三二章   破軍の剣

<第 九 篇  隠神の活動>
第三三章   巴形の斑紋
第三四章   旭日昇天
第三五章   宝の埋換
・第三六章   唖者の叫び
・第三七章   天女の舞曲
・第三八章   四十八波
・第三九章   乗合舟

<第一〇篇  神政の破壊>
・第四〇章   国の広宮
・第四一章   二神の帰城
・第四二章   常世会議
・第四三章   配所の月

<第一一篇  新規蒔直し>
・第四四章   可賀天下
・第四五章   猿猴と渋柿
・第四六章   探湯の神事
・第四七章   夫婦の大道
・第四八章   常夜の闇
・第四九章   袖手傍観

<第一二篇  霊力体>
・第五〇章   安息日




・口述日     大正一〇年一一月一二日 〜 大正一一年一月三日
・口述場所   亀岡天恩郷 瑞祥閣 / 綾部 竜宮館





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